向島花街について

花柳界は、遊びの場を提供する「料亭」、
料理を提供する「割烹料亭」、
芸妓衆の屋型である「置屋」の、
三つの業種「三業」から
成り立っています。
芸妓衆の芸や座敷を占有する秘匿性、
そして、
料理とお酒を楽しめる非日常の世界です。

「花街」とは

芸妓が活動の場とする場所を「花街」と言います。読み方は各地域によって異なりますが、「はなまち」や「かがい」と読まれます。その呼び名は、花の紅や柳の緑の美しさに似た艶やかな女性のいる街をあらわす「花街柳巷」という漢語に由来すると言われています。
芸妓の存在を核として多くの業種が集まる商業圏でもあり、都市に流入する人々の衣食住を満たすために職人たちが集まり、娯楽が生まれ、その土地ならではの気風や美意識、芸能が各地域で形成されてきています。

日常からの非日常へ
隠れ里であった向島

向島の「むこう」は、浅草から見て向こう側にあたる 「隅田、寺島、牛島」などを指して向こうの島と呼んだことによるとされています。
江戸時代、 向島一帯は桜の名所や神社仏閣が点在し、また少し足を延ばせば田園風景が広がる風光明媚な地として知られていました。
また当時、 川岸には料理屋や茶屋があり、 江戸での贅沢に飽きた旦那たちが吉原や柳橋の芸妓衆を連れて、向島の店を訪れたと言います。
当時、江戸の人々にとって、舟で渡る向島は日常から離れた特別な場所・隠れ里となっていました。

料亭

和食、特に会席料理を提供し、芸妓衆を呼んでのお座敷が許可されている飲食店。お座敷とは、芸妓が呼ばれる宴の席のことを言います。

置屋

芸妓衆に教育を施す業種。女将は所属する芸妓や半玉たちと寝食を共にしながら、生活全般の教育をします。名称は、芸妓が「籍(看板)を置く」家であることに由来します。

見番

料亭・置屋間の業務連絡や、芸妓の派遣を担う事務所。芸妓の売上を一括管理し、広報など花街の窓口業務も担います。料亭・置屋・芸妓によって組織された組合の事務所でもあります。